これからは病院が選ばれる時代だということで、看護の腕の見せ所とがんばること自体は正
しい。でも、患者さんの選ぶ権利ばかりが言われるなかで、
実は病院には患者さんを選ぶ権利がないっていうことは、誰も問題にしませんよね。
患者さんは命をあずける側だということで、多少のハンディが病院側に課されることは仕方
がないのでしようが。ただ患者さんの言うなりになることが患者さんの権利の確立ではないと
いうことは、はっきりさせておかないと。いちばんいやな思いをするのは、ケの部分を預かる
看護婦だと思うのです。
そのためには、患者さんに対しても、きちんと貴任を課していくこと。たとえば看護婦と患
者さんの関係がうまくいかなかったらすべて看護婦が悪い、と反省するばかりではなく、相手
の人間性もきちんと考えて、相手の問題は問題として割り切らないと、とても働きつづけては
いけません。
看護は大きな力をもっていますが、相手の人格によっては、看護以前のところでつまづくこ
とだってあるのです。看護する対象を選べとまで言い切ることはできませんが、甲斐のある人
とない人がいることは、あきらめるしかありません。
こうやって、自分を慰めるようなこと書いてなんになるんだと思いつつも、実際書いてみると、
けっこう気持ちが整理されるのが不思議です。
いつも、元気で、仕事の楽しさをばんばん書いていこう、と思ってはいても、こんな
ふうにめげてることもあるんですよ。看板に偽りあり、みたいで申し訳ないんですが、実は人
一倍弱気で気が小さいところがあるんです。
それでもやめたいとは思わないのは、なぜなんでしよう。それはきっと、やめたいと思った
り、やりがいがないと感じたりする自分の働き方に、あまり悩まないからだと思います。いつ
もやりがいを感じられる、続けることに悩みのない仕事なんて、あるわけないもん。そう思うと、
くそ、ちくしよう、と思いながら働いてる自分を、肯定できるんです。
今回の落ち込みはちよっと厳しいところもありますが、たぶん時間が解決してくれるんじゃ
ないかと思ってます。働きつづけていけば、仕事と自分の距離は、いろいろな局面で変化しま
す。いまは気持ちを少し外に逃がしながら、時をやり過ごそうと思っています。
こういう文章を書いているときの私の精神状態は、はっきりいって最悪です。自分の正当性を主
張しつつも、自分の書きっぷりの人柄の悪さに嫌気がさし、自分の心の狭さが貴められて、ただた
だ落ち込む。〈自分も人間なんだから患者さんすべてに寛大になれない〉と思いながらも、やっぱ
りそうなろうとする自分がいるから、悩みは深いのです。
そして私がケアを仕事とするかぎり、多かれ少なかれ、この悩みは引きずるものと覚悟していま
す。看護師として働くには、人に対して寛大であれたほうが、絶対に気が楽です。このサィズが小
さい看護師は、始終この堪忍袋問題に直面し、悩むのは仕方ないこと。
これからも私はこの宿題を背負って働いていくんだろうと思います。
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