2014年5月6日火曜日

看護婦への道

十九世紀の英国にあって、良家の子女が病院における慈善事業に献身するなどということは、

前代未聞のことでした。なぜなら、病院という所は、本来社会の底辺に住む極貧にあえぐ人々が、

病気になつた時に収容される施設であり、そこには不衛生と不道徳が混在していて、とてもまと

もな人間が入れる場所ではなかつたからです。さらに悪いことに、看護婦といわれる女性たちは、

大抵最下層の極貧者で身持ちが悪く、何の知識も技術もなく、ただ病人ょりもすこし元気だとい

うにすぎない人たちでした。




ですから、上流社会に住む人間が最も昏み嫌つていた世界が病院だつたのです。その忌まわし

い社会に好んで入つていこうとする娘の気持ちは、どんなに進歩的な思想を持つ家族であつても

決して理解できるものではありませんでした。




ナイチンゲール家にとつての不幸は、末娘のフロレンスが一八四五年の十二月に突然、自分は

病院に入つて、そこに苦しむ人々のために献身的に働きたい、そのためにまず、正しい知識と技

術を学ぶため、病院に研修に出して欲しいと訴えた時から始まりました。




ナイチンゲールは、家族から看護という言葉すらロに出すことを禁じられ、毎日山のょうな家

事を押し付けられて、一人では家から一歩も出られない状態に追い込まれてしまいました。そし

て信じられないことですが、こうした状況は、その後なんと八年間も続いたのです。




ナイチンゲールの苦しみは筆舌に尽くし難いものがありました。苦悩に苦悩が重なり、やり場

のない欲求不満が高じて、彼女は次第に狂気の瀬戸際まで追い詰められていきました。しかしそ

んな中でも、彼女は病院と衛生に関する資料を入手して、自己の思考を練ることを止めませんでし

た。

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