そのため、自宅に人々を招き入れ、晩餐会や舞踏会を催し、名士をもてなすことなどは、娘
を世に出すための絶対必要条件でした。母のファニイはそういうセンスに長け、精力的に事を運
ぶのが得意で、エムブリイ荘を増改築して準備をし始めました。
さらにファニイの提案で、家の改築が終了するまでの間、娘たちを連れ外国旅行に出かけるこ
とになりました。社交界に出る前に、世界を見、現地で音楽を聴き、外国語の勉強をし、さまざ
まな人々と付き合うことは、決して無駄なことではないと考えられたからです。フロレンスもす
でに十七歳になっていました。
こうしてナイチンゲール家の人々は、一八三七年九月から一八三九年四月まで、イタリアを中
心としたョーロッパの旅を満喫したのです。この間の十八力月の日々は、フロレンスに生れては
じめての自由を与え、数人の貴重な親友を得る好運を与えました。彼女はパリの知的社交界で優
遇され、その若き能力は、人々を存分に楽しませたのです。
今やすばらしい女性に育ち上がったナイチンゲール家の二人の娘が、ロンドンの社交界におい
て初舞台を踏んだのは、一八三九年五月二十四日、〈女王の誕生日の接見の間〉においてであり
ました。
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