がイタリアを出発する前に、父ウイリアムは準備のため一度急ぎ英国に帰り、ダービシャーの広
大な敷地に、自ら設計図を引いたゴシック風の館を建築させました。
リハースト荘と名付けられたその屋敷は、なだらかに起伏した美しい田園の丘の上にあり、そ
の見事な眺望はまるで絵のようでした。
しかしファニイによれば、この館はいくつかの欠点を持つていました。それはロンドンから遠
く、足の便が悪い上に、冬は寒気が厳しくて永住の住みかとしては不適だったのです。また社交
好きのファニイには、この家はあまりにも狭すぎました。
そこでニ年間の家探しの結果、一八ニ五年に、ウィリアムはハンプシャー州ロムジイの近くに、
エムブリイ荘を購入したのです。それはジョージ王朝後期の家で、広々とした庭を持つ、素晴ら
しい館でした。ロンドンにも近く、狩?にも適し、ファニイの姉妹の家からも手近にあり、ここ
なら多くの人々を招き入れることができました。
こうしてフロレンスが五歳の頃までには、ナイチンゲール家の生活は、一定のスタイルを描く
ようになりました。すなわち、夏は涼しいリハースト荘で、それ以外はエムブリイ荘で過ごし、
春と秋の社交シーズンには、ロンドンに出て暮らすというスタイルです。そこにはメイドや従僕
や下男たち、また馭者や料理人などが共に生活し、フロレンスはまさに当時の上流階級の典型的
な暮らしのなかにいました。
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